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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

呪う事とは別の世界に魂を置きましょう2


 もし魔の力を借りようとするなら、決して幸せにはなれないと、人は覚悟を決めなければなりません。
魔の力は時に善神を上回ることが有ると言われます。
強大な怒りや憎しみの塊となった魂は、それだけ多くの力を持つという事なのでしょう。
その為、一生懸命生きようとする人にも厄災が降りかかったり、死にたくなるような喪失が訪れたりするのです。
 世界を見てみると、それぞれの国が「自国の利」のために、他人の不幸を顧みないような事が、多数の意見として生まれつつあるようです。
魔の力が増長しなければ良いのですが、心配になります。
「魔」は他人の不幸に歓びを感じたり、様々な欲にまみれて他人を顧みない心を好みながら、それを持つ人に力を与えて行きます。
自分の掛けた日常の小さな呪いが少しずつ叶うとき、ある種の人々は小躍りしながら、己に力が備わったような錯覚を味わいます。
そして「力が有りさえすれば良いのだ」と他人の不幸を喜びます。
そうなると、もう引き返すのは難しくなってきます。
心の中の最も柔かい人間としての部分を、闇の力によって、侵食されているからです。
自分が「魔」の手先となる事に気づかず、「大きな力」を得ていると勘違いしながら生きる事になります。
 「魔」は決して人を幸せにはしません、
そして血を継承しているためか、その子孫にも厄災が降りかかる事が多いのです。
それ故現代になって、「何で自分のうちだけこんな事が起こるんだ!」というような、不幸が訪れる事があるのかも知れません。
それは遠い昔、もしかすると先祖が関わった事柄によって、今を形作っているのかも知れません。
 「悪の栄えた例(ためし)なし」という言葉が有りますが、一時は力を発揮するかも知れませんが、やがてそれは「駆除(くじょ)」される運命にあります。
何故なら仏教徒がこの世にいるからです。
仏教もまた、「魔」を「善」に変える多くの力を持ちます。
仏教では「絶対の悪魔」という事ではなく、一時「魔」の状態でも、お経や供養などでその心は「善」に変換されることが有ります。
その「変換された心」は、かつて「魔の自分」を利用した者たちに向かいます。
仏法によって、心の中の残虐さや粗暴さなどが洗い流され、「善を為そう」とする意志は、かつて魔だった自分を頼った人々に何をするでしょうか?
考えるのも恐ろしいことです。
 因果応報は必ずあります。
どうせ生きるなら「何だか損だな」と思ったとしても、人を慈しみながら、正しく生きて行く道がお勧めです。
多くの仏教徒たちは、日夜「魔」に対しても、お経や自らの修行や供養を通して、それに対応しているはずです。
正しく生きようとするとき、もちろん色々な自分との死闘も有りますが、負けないで「強い魂」を手に入れましょう。
その様な人々を、竜は深く愛すると思います。
 画像は、新青森駅にありました、遮光器土偶の展示物です。
今日のフィーリングは、Aimer(エメ)さんの「凍えそうな季節から」、川島成道氏(ヴァイオリン)の「シンドラーのリスト」、Aerosmith(エアロスミス)の「I Don’t Want The Miss A Thing  
アイ ドント  ワント ザ ミス ア スイング」かな