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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

もっと神仏を信じて頂きたいです

 この世で生きる多くの人々にとって、「全てが終わった」と思うような日が、その人生に在るのかも知れません。
一生順風満帆に過ごす人など、一人もいないのではないかと思われます。
ただその「どん底」の場面が、人間関係やお金の問題、怪我や病気という多岐にわたる事は分かります。
その中でも特に大変だと思うのは、お金の問題だと思います。
この世を生きて行くには、「どん底を感じるようなあらゆる全ての問題」の前に「お金が生活に行き渡っているか」の問題が横たわっていると思います。
何をするにもお金の問題を解決しなければ、恋愛を成就するとか仕事で人に認められることも「まだ幾分贅沢な悩み」となりかねません。
精神的に何か得体の知れない、恐怖や焦り,苛立ち自己嫌悪などの、拭いきれない大きな不安に押し潰されそうになります。
青い空もただ白々しく感じ、手の付けられない様な喪失感に苛まれてしまいます。
 お金の問題はもちろん、注意深く収支を守って来ても、運の流れが大きく作用することが有るのです。
ではその「運の流れとは何なのか」という事です。
私は仏教徒ですので輪廻転生の問題もあり、またその人の現世での生き方が相まって受ける「艱難(かんなん)」ではないかと思います。
朝から晩まで仏事や神事を行っても、ある日お供物も用意できないほどの経済状態となることも有ります。
また何の努力もせずとも、それなりに順風な経済状態のままの人もいます。
 それは何故かと言うと「先祖からの徳を貰っているかどうか」、また「生き方に問題はなかったかどうか」の二つの事柄が、それを導いているように思われます。
先祖がこの世で多くの徳を積んで来た家系は、子供がそれほど苦労をしなくても、割合穏やかな人生の流れがあるようです。
その人が生きている間に何も徳を積もうとしないときは、それは「先祖の徳を食い潰している」事になりますが、生きている間に更に徳を積むというのであれば、その人生に陽の光が差し込むようなことも、沢山あるでしょう。
 しかし先祖が犯した罪が多い場合は、子孫がそれを償わなくてはならない場合もあるようです。
そんな時、人に罹って来る重さは辛いものだと思います。
更にその人がその人生で、人を傷つけてしまったり、徳を積もうとも思わないのであれば、人生の順風な流れをせき止める大きな逆縁に、巡り合ってしまうかも知れません。
 「仏事や神事を行っていれば免罪されるのか、良い事があるのか」という問いには、必ずしもそうだとは言い切れないことも有ります。
何故なら人生は、色々な要素を巻き込みながら流れているからです。
良かれと思っていた事が、実はとんでもない不徳を積んでいたとか、それではどうすれば良いか人には分からない事も多いでしょう。
その様な時は、あまり混んでいないときに神社仏閣に行き、ただ頭を垂れ「私を助けて下さい、この苦を乗り越えられたら、必ず人の役に立つ努力を致します」
と心から念じる事が、たった一つの、その人に残されたことだと思います。
そして生きて行くのです。
生きようとすることは、最も大きな徳を積むことになります。
何故なら明日、その人の優しさを待っている人がいるかも知れないからです。
明日出逢うかも知れない人は、その人をずっと待っていた人かもしれないのです。
ずっと待っていた人にとっては、「生きようとしたその人」でなければだめなのです。
人生を諦めないで下さい。
例え一文無しになっても、法治国家に居るのなら、生きる道は何処かにあるはずです。
探してみる事です。
惨めだとか辛いとか疲れてしまったとか、心に浮かぶだろうと思いますが、誰にでも天の目は注がれているのです。
生きようとする決意は、最も大きな徳を積んでいることになります。
それはこの世のどんな徳をも凌駕するほどのものです。
徳を積む人には、必ずいつか何かの形で、心穏やかな未来がやって来ます。
もっともっと神仏を信じて下さい。

 画像はもう暫くお待ちくださいませ。
今日のフィーリングは、安田レイさんの「Not The End ノット ディ エンド」、Julio Iglesias フリオ イグレシアス氏の 「Caruso カルーソ」、Foreigner フォーリナーの「Rain レイン」かな