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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

この世で手にしたものは大切なものです


 今まで心がどうあるべきかを、お伝えしたかったのは確かです。
そのために多くを手にした人よりも、何も得なくても、心が整っていることの方が大切といったニュアンスが、私の文章には漂っていたかも知れません。
努力して人よりも「光るもの」を手に入れようとする人を、軽んじているわけでは決してありません。
それはもちろん競合の末手に入れた事柄、地位、財力、また人脈でもあることでしょう。
競合できるという事は、その人に努力や鍛錬、修行をして自分の壁を越えていける強い意志があり、体力や気力もあるという事です。
その様な方もまた、険しく辛い人生の道のりを歩いてこられたことと思います。
ひどく耐えがたい惨めさや、哀しみや悔しさをさんざん味わって、培われた「力」であったのかも知れません。
今高い地位にいらっしゃる方々もまた、そこに至るまで大変な嵐の中を、通って来たのかも知れません。
 それでも人は、ある時張りつめて生きて来た過程を、突然手放してしまいたくなる日があるかも知れません。
あまりに複雑な人間関係が、多くの場合その主な理由かと思います。
そのようなある種の緊張が続いて行くと、身体にも何かしらの不具合が現れるものかも知れません。
そんな時は何らかの「休日」を、こしらえる時が来ているようです。
「この流れを切ってしまうと、取り返しがつかないかも知れない」と考える時点では、すでに体力的にも精神的にも自分の限界を超えているのではないでしょうか。
その様な時のために、普段から友と親しむことをしている方々は、いろいろと救われるものです。
また神やほとけが心にいる方は、そんな時一番行くべきところに、その人生が導かれて行くようです。
「私はこんなに努力したのだ」という事実は、自分がぬかるんでいると思われる沼から、脱出するための推進力ともなる事でしょう。
そしてまた心の中で、自分の置かれた環境や友人などに何らかの感謝が出来る方であるならば、その方はその地位にいることが適切なのだと思います。
その場所を去ろうとすれば、言い過ぎを覚悟で話すならば、もしかすると「天意」に反しているのかも知れません。

「天はその人の能力を超える辛苦は与えない」とよく言いますが、命を懸けて挑むなら、また違った景色の立ち位置をその場所で見ることが出来るかも知れません。
地位に固執するということは、この世でよく「揶揄(やゆ)」されることもありますが、実は昇りつめたその位置からしか、見ることが出来ない景色があります。
その中には、その地位を手にしなければ知る事の出来なかった、人々の哀しみや苦しみもあるはずです。
そしてその地位にいるからこそ、解決できる権限という「力」、それを発揮するためのお金を、動かすことも出来るはずです。
そういった「力」で人々を助けることが出来るという事です。
 地位や財力を手にすると、人は変わって行くと言われることがありますが、それはその心がその地位に足るだけの、人間としての成長を果たしていない時なのかもしれません。
この世で生きる全ての方に言えることは、「人も自分と同じように、幸福になりたいのだ」と理解することです。
それを本当に知った時には、自らがその地位の持つ力で、人々に対して何をすべきかを理解できる時が来ているのです。
辛くて、たとえ休日を多めに取ったとしても、その地位のままもう少し闘ってみることも、必要な場合があると私は思います。

画像は青森県八甲田山、「地獄沼」です。
雨の日でしたが、沼の色は綺麗でした。
今日のフィーリングは、島津亜矢さんの「聖母(マドンナ)たちのララバイ」、手使海ユトロ(てしかい ゆとろ)氏の「Come Across The Wind (カム・アクロス・ザ・ウインド) 風たちとの出逢い『世界ウルルン滞在記主題
曲』)」、Kandace・Springs キャンデイス・スプリングスさんの「The Gentle Rain ジェントル・レイン」かな