続 信仰とは何でしょう
人々がこの人生を渡って行く途上には、数え切れない「辛さ」があるのは、皆が知るところのものです。
時折その人の心の収納力の限界を超えてしまい、途方にくれることも有りましょう。
私が東京にいた頃の若い日々、私には確かな仏教信仰が有りました。
それなりに勉強して、自ら納得し、ある程度自分自身で修行もして来たつもりでした。
それでも何一つ思い通りにならない現実の道のりは、もはや自分の限界を超えていたようです。
黙って家にいると、自分自身の前に垂れ下がって来る超えがたい「宿命」のようなものを感じて、気が変になりそうでした。
そしてただただ歩き、黙々と毎日東京の町を、何時間もかけて歩いてみました。
広い歩道の端を歩くと、珍しい建物やおしゃれな街灯があったり、今までこんな素敵な街に、住んでいた事さえ気付かずにいたのだと知りました。
ある日教会の入り口に黒板が置いてあり、中からオルガンの音がしていました。
その黒板に「あなたの持っている重い荷物を、私が背負ってあげましょう」と書かれてあり、その言葉を読んだ瞬間、涙が溢れて止めることができず、しゃがみ込んでしまいました。
静かで人通りもなかったその路で、しばらく動くことが出来ず、また歩き始めたときには「私は助けられたのだ」と思いました。
考えてみるともう長い間、「涙」というものを忘れていたようです。
止めどなく溢れた涙と共に、私の中にあった行き場のない怒りや不安、焦りなどの土砂のようなものも、流れ出ていったように感じました。
次の日からの足取りは、幾分軽やかだったですが、もうそれが東京での最後の散策となりました。
その後梗塞を起こして東京を離れなくてはならず、もう二度とそこで生活をすることも有りませんでした。
あのとき黙々と歩いた日々は、長く住んだ東京の街にお別れを告げる、「行脚 あんぎゃ」だったのかも知れないと今では思います。
青森に帰って来てからも様々な事がありましたが、あの東京での「若き日々」ほど混乱することはありませんでした。
心の許容範囲を超えるような出来事にも、私の持っていた「信仰」のために、生き続けることが出来ました。
世の中で、この「信仰」という言葉が多くの場合疑われ、警戒されるものであることもよく知っています。
「何かを信じること」は、それは辛いことでもあるのでしょう。
信じることによって奇跡のように感じられた幾つもの事も、誰にも話す事は出来ませんでしたが、「信仰」という極めて個人的な世界の中で、多くのことを学んだことは事実です。
神や仏を認めない方々もいらっしゃることには、正直驚きを隠せず、そのようにある意味「強く居られる」ことは未知の世界でした。
しかしながら神仏を信じないということも、実はひとつの「信仰」であります。
人生の中で自分が主体で自分主導で生きてみることは、私には想像がつきませんが、その人の人生に於いては、自分自身が、私のいう「神」であり「仏」であるのでしょうか。
人生は平坦でなく、死を賜るような辛さがその所々に潜んでいます。
その度神仏が心にない方々は、どうやって自分を立て直していくのでしょうか。
また神仏は何処かにあるのだろうけれど、関わりたくないと考える方々は、実はとても幸せな人々だと思います。
どんな人にも「カルマ」があり、その苦しみを家族の誰かが背負っている、ということはないでしょうか。
そのような状態のご家庭を、時折拝見することがありますが、何かしらの供養で、その方の苦しみを緩和できることもあります。
そして「信仰」を持つことは、けして「弱い人」というものではありません。
神仏にすがって助けてもらおうとしているのではないからです。
この世の全ての方々が持って生まれてきた「カルマ」を、本気で解消するには、命をかけなくてはならないときが必ずあります。
「信仰」を持っている方々は、それを受け入れることを知っていると思います。
そして「カルマ」を解消することが、この世で本当の幸せを手に入れるための、最短で確実な道であることも理解できることでしょう。
そのために、天を認め神仏の存在を受け入れる「信仰」という世界が、私達には用意されていると思います。
画像は八戸市鮫町の岸壁で見た、面白い雲の様子です。
「今日何のおにぎり食べる?」、「俺はツナマヨにしようかな」なんて話しているかも/>
今日のフィーリングは、WeiWei Wuu ウエイウエイ ウーさんの「Feel The Sky フィール・ザ・スカイ」、YES イエスの「Love Will Find A Way ラヴ・ウイル・ファインド・ア・ウエイ」、TOGI+ BAOの「千里の路」かな