どこからでも「気付き」へは繋がっている
私の家にはかつてチワワがいました。
名前はジョーイという男の子でした。
時々私の心に影が差し始めると、飛んできて顔中なめ始めます。
あまりの攻撃に、何が心を不安にさせていたのかを忘れるほどでした。
ある夜のこと、家族全員が遠くに旅行して、私とジョーイが留守番をしていました。
午前2時ころ突然ジョーイが、激しくある方向を向いて吠え始めたのです。
私はその方向を見ると、全身総毛立ち呼吸が苦しくなってきました。
突然ジョーイは倒されて、それでも横になったまま吠え続けていました。
私は知っているお経を唱え続けたのですが、「それ」は去ろうとしませんでした。
もうこれで私は終わりだと思い、目を閉じたまま「それ」にある事を強く念じました。
ジョーイは起き上がったものの、足全部が震えて今にも死んでしまうのかと思いました。
「それ」が出現してから去るまでの時間は、私が生まれてから味わった最大の恐怖でした。
霊媒という存在では理不尽な不安と恐怖の連続ですが、大好きな子まで失うのかという恐怖で、とうとう一睡もできませんでした。
それから何年か後にジョーイは心臓病で亡くなりましたが、私はその子に何度も助けられて感謝の印として、お経を書いてあげました。
巻物にして、荼毘に付すとき頭のところに立てて置きました。
その後ジョーイのお骨の側に、焼けて灰になったお経の巻物がそのままの形で立っていました。
ジョーイは天からの贈り物だったのだと、その時本当に分かりました。
今でも、毎日お線香をあげる度「今度は自分のポッケからお金を出して、好きなアイスクリームやお肉を買える人間に生まれてね」と祈ります。
どんなに愛してもペットは畜生界にいる存在です。
それでも人の心を癒してくれる子たちは沢山いて、人は皆きっとそんな子たちにとても感謝しているはずです。
それ故動物たちは、この世で私たちの知らない間にも沢山徳を積んでいると思います。
私は、そんな子たちは人間に愛された分、人間に尽くしてくれた分、天の慈悲を受けるものと思っています。
例えば「野良」と呼ばれる存在でも、必死に生きているのです。
棒で叩いたり、辛く当たらず優しい目で見てあげて欲しいのです。
人と関わる動物だけでなく、関わらなくてもきっと皆、天からの贈り物だと思えます。
皆で考え続ければ、何か良い方法で動物をその苦難から救い出せるかもしれません。
画像はジョーイ君です。16歳まで生きてくれました。
今日のフィーリングは、三浦透子さんの「愛にできることはまだあるかい」かな