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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

多くの薬は人の優しさから生まれます


 東京の街で生活していた頃、本当に辛い毎日だったと記憶しています。
私の病気回復には、副腎皮質ホルモンが欠かせません。
この薬の副作用でとりわけ嫌だったのが、顔が真ん丸になる事です。
顔に脂肪がつくのか、容貌が変わってくるのです。
17歳の一番綺麗に咲きたいときに、1日30mg以上のステロイドは、人格と人生を変えました。
東京の街をそんな顔で歩けば、酷い言葉も浴びてしまうのです。
拳を握りしめ歯を食いしばり、自尊心も粉々になった私には、道玄坂を、目黒を、下北沢を歩いた日々が在りました。
 ある日とぼとぼ歩きながら、渋谷のガード下に差し掛かると、「広島のために鶴を折って頂けませんか?」と声を掛けられました。
ケロイドで傷んた女性の顔写真が掲げてあったと記憶しています。
それ以来何年も白い鶴を折り続けました。
 学生生活は忙しく、レポートに殺されるのではないかというほど、追い詰められました。
そんな中で暫く折り鶴を送れない時、「ヒロシマの折り鶴の人」が寮までやって来ました。
その時、以前賛同した私と違う私が居たのでしょう。
「もう私には、鶴を送ることが出来なくなりました。」と参加を断ったのです。
何か団体のメンバーになるような恐怖も在りました。
 私にとって広島が(長崎もそうですが)、大変な経験をされたことを解っていたつもりでしたが、自分自身の命を賭けて活動するほどは理解出来ず、自分の病気の事で精一杯だった私には、その本当の哀しみを理解するには至らなかったのです。
広島を訪れて資料館などで学べば、もっと違ったアプローチが出来たかもしれません。
あの戦争の時代から随分時が流れましたが、戦争とは何かを深く考える為に共有すべき、人類共通の負の遺産として、辛いけれどけして忘れてはならない経験として捉えたいと思います。
 私はまだあのときの三分の一程のステロイド剤を飲み続けて居ますが、沢山の錠剤なしに生きる事を許されない私は、ある意味薬物中毒でしょう。
それでも生きていく意味が、何処かにあるはずだと思います。

それを見付けたくて、やっとこの仕事を始めたのかも知れません。
17歳の頃、辛い副作用を与えながらも完治する為の薬でない事を、とても恨んで居ました。
しかし年齢を経た今、生き長らえた事が大切だったと思えます。
生き続けて行くと、本当の生きる意味が何かによって知らされる日が必ず来ます。
その時初めて、生まれてきて良かったと思えるはずです。
それ故、どうにかして生きていくための、努力を続けて行くべきかと思われます。
 毎朝手のひらいっぱいの薬たちに感謝して飲んでいます。
「あなたのお陰で生きていられます。どうも有難う」

画像は家の小さな庭に咲いた牡丹です。
今日のフィ−リングは、Wingsウイングスの「Medicine Jarメディシン ジャー」、
竹原ピストル氏の「あ。っという間はあるさ(弾き語り)」かな