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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

今日は父の日ですね

 私は色々な理由とご縁で、30歳を過ぎるまで、両親と暮らした事がありませんでした。
父がやがて東京に帰るつもりで、弟と私を先に東京の祖父母の住む自宅へ行かせていたら、仕事の都合で両親は帰ることが出来なくなり、そのまま親と子は別々に暮らすこととなりました。
両親は時折東京を訪れ、春や夏や冬の長い休みのときだけ私たちは帰郷することが出来ました。
故郷に来た時は、父がよく私たちを映画に連れて行きましたが、観るものは戦争映画と時代劇と決まっていました。
「首が飛んだ!」、「ダ・ダ・ダ・ダ・ダ!」(機銃音)、「ドッカーン」(着弾音)、「ボワッ!」(発火音)などという音が、小さな目と耳を攻撃したのでした。
「凄いものを見てしまった!感」で、ぐったりして家路に着いたものでした。
映画に行くと言っている日は、緊張感が漂いました。
 休みの日は戦闘機のプラモデルを制作しているらしく、機体がどんどん増えて行きました。
ある日のお茶の時間、「俺は本当は戦闘機パイロットになりたかったんだ」と言いました。
それであんなにゼロ戦を作っていたのかと納得しました。
 戦闘機が美しいと人に思われる国は、そこが平和だということであります。
何故なら、戦時中の戦闘機は悲しみや憎しみ、恐怖の対象でしかなかったからです。
最後はいつも「いつまでも子供たちにとって、カッコイイ戦闘機で居てもらいたいね」と言っていました。
青森市が空襲の時、そこに疎開していた父はまだ子供で、爆撃の故に家族とはぐれて一人で炭化した遺体の間を走って逃げ、明け方やっと家族と再会できたようです。
その頃はB29やグラマンの名を聞くだけでも嫌気が差したそうです。
 父はサーブが好きでした。
今はスゥエーデンもNatoに参加を希望しているようですが、サーブ車が造られた頃は永世中立国でした。
サーブ車が「戦争をしない国」での、自国を守るための戦闘機の流れを汲んでいたから、父はサーブをとても愛していたようです。
「戦争をしないというだけでも、それは愛すべき存在だね」とサーブ愛に満ちていました。
サーブが家に来てから、今まで作ってきた戦闘機のプラモデルが段々無くなって行きました。
子供たちにあげたのだろうと思います。
それ以後父は戦争の話はしなくなり、静かにサーブを運転していました。
私は「父の戦争」はもう終わったのかもしれないと思いました。
 もう一つ、週末になると弟と私に仏教の講義がありました。
般若面と鬼面の恐ろしさの違いなどです。
般若面は鬼面より恐ろしいことを示しているのです。
何故なら、般若は泣いているからです。
鬼の怒りの呪いよりも、悲しみの般若の「怨」という呪いの方が、数段恐ろしいのです。
人を泣かすようなことをすると、「怨」という、音も無く忍び寄る呪いの力がその人生を狂わせ、幸福を破壊して行きます。
しかも「怨」は、その対象となる家の何代にも渡って、力を及ぼすことが有ります。
 「心の中に神も仏もない人間ほど恐ろしいものはない」とよく言っていました。
「自分の頭の上に天がある事を理解できない事は、他人に対する考え方も、その故の愛情も違うものになって来る」と言っていましたし、「仏の心を知ることは、世界中が平和で仲良く暮らせる為には、欠かせないことだ」と毎週の様に聞かされてきました。
映画をみせたり仏教の講義をしたのは、「戦争をするとどうなるのか」や「人の心に神仏がいないとどうなるのか」という、とてもラジカルな教育のようなものだったのかも知れません。
親が子に神仏を伝えることは、大切な義務だと思っていたようです。
 父が亡くなって通夜から火葬までの間、時折ラッセル・ワトソンの「ビリーヴ」という曲を聴いて居ました。
父が飛び立って行くのに相応しい曲の様に思えて、その曲と共に見送りました。
不器用で一本気な武術愛好家だった父は、恐らく誤解されることも沢山あったであろうし、人に対しても「いつも優しく穏やかに接して」とはいかなかったかも知れません。
それで気分を害されたり、ご迷惑をお掛けしたことがあったかも知れません。
もしそんなことがあったなら大変申し訳ありませんでした。
 それでも弟と私にとっては、子供のような所もあり、心の優しい所もある父でした。
今日は父のために、好きだったハイボールを供えます。
私も飲もうかな。
六月十八日は私にとって、忘れることのできない記念日でも在りますので・・・

画像は青森県八戸市にある「八戸公園」の薔薇です。
今日のフィーリングは、ラッセル・ワトソン氏の「ビリーヴ」、ラッセル・ワトソン氏の「好きにならずにいられない」、宇多田ヒカルさんの「道」かな。
尚英語の歌詞は、多くがネット検索で和訳されているものを見ることが出来ます。
私も時折、正しい和訳をそれで確かめて居ります。