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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

お稲荷様にお参りしても良いのでしょうか

 「お稲荷様にお参りしても良いものでしょうか」と何人もの方からご質問を頂きまして、少し驚いております。
 お稲荷様は農耕神と呼ばれ、「衣、食、住」を司る神様で、私達が着るもの食べるもの、そして住む所に不自由しないように計らって下さる神様であります。
「衣、食、住」を日常から取り去ったら、私達はもう生きていけません。
それ故「衣、食、住」を司っている神様に、ご挨拶することは間違ってはいないでしょう。
龍神様は何となくお参りしたいと思っていらっしゃる方でも、お稲荷様はあまり関わりたくないという方がとても多く感じられるのは、少し寂しい気がします。
私の家でも、龍神を守護神として何代も暮らして来ましたので、どちらかといえばお稲荷様とは深い繋がりを持たなかったのですが、それでもあることが起こった事によって真実を知り、今はお参りさせて頂いております。
 ただ私の場合、仏教と深い繋がりの下でのお参りですので、「神道」とは少し違うのかも知れません。
以前「神の力はスカラー量、仏の力はベクトル量」ということを書いたことがありました。
神は力が大きければ大きいほど正しく、人の涙も命も、ときに容赦することはないが、仏は人の涙を汲むというベクトルがあるように表現しましたが、現代の「神道」は日本において、長きに渡って神仏習合の歴史がございます。
鳥居を構えていらしても、仏の教えは天上界にも十分に渡っていると考えて良いでしょう。
昔から「別棟 べっとう」という立場の僧が関わって、いらしたはずです。
この方々の伝える仏の力やその真理を、ほとんどの神々がすでに理解されているはずです。
それ故鳥居をくぐって、私達が心穏やかにお参りも出来ますし、鳥居の中に「恐ろしい神様」はもういないと申し上げておくべきでしょう。
 しかし神様が、ときに厳しく有ることは確かですので、この世でうまくいかないことが続いていたり、何代も誰かが早逝したり、またお金に困って大変な目にあったりということは、かつて神々の社(やしろ)を建ててお祀りしてお願い事を沢山していたのに、次の代その次の代へと移るうちに、疎(おろそ)かになり何もなかったかの如く、手を合わせることもしないなら、やはり「怒り」というよりも「礼儀に欠けるため、教育すべき」とみなされ、何らかの生活における不備が生じてくるはずです。
 ところが現代になって、もう何代も前のことがわからないのは仕方ありませんが、神仏のことは親から子に確かに伝えて行くべきで、たとえ「次の世代には次の世代の自由があると考えている」と先祖が思っていたとしても、神恩仏恩は次の世代にも継承されてきたはずですので、もし良いことがあったなら、「今あるのは先祖の信心の賜物」と気付けたなら幸いなことです。
 お稲荷様はとても力が強いと昔から云われています。
それはお願い事をすれば、多くの場合不思議な叶い方をするということです。
神様は人の持つ、何代にも渡る因縁や罪や穢れを超えて、その方の願いを叶えて下さるとき、非常に苦しんだり大変な思いをなさるはずです。
そういった神々の努力を知らず、叶わなければ「そんなもんさ」と思ったり、お礼参りにいかないような末裔たちが出てくるわけです。
それでは神様方が、どんなに虚しい思いをされているのか、多くの方々に理解されて来なかったという事でしょう。
やはり神様でもその虚しさが続くと、哀しみが怒りに繋がることも理解できます。
散々な心持ちで、ご利益だけを求めるのであれば、神様も哀しさをつのらせるのではないでしょうか。
それ故私達人間に必要なことは、「経典を理解しなさい」とか「聖書を読みなさい」、「コーランを学びなさい」と強制するのではありませんが、そういった書物はただあるのではなく、人の魂を光の当たる場所へ導くために、この世に贈られた大切な入り口であることに気づくことでしょう。
この世の真理は、神仏がどれだけ私達に必要な存在か、そしてそれは人の優しさや美しさを理解できるための、本当に大切な心の扉を開いてくれる存在であることを、知るための道であります。
 他人を本当に慈しむ人が、何のムチをうけましょうか。
心の中に何か黒いものが漂っていないか、時折探し出す機会を持っている方が、どんな天のムチを受けましょうか?
神様を恐れるとき、それは己の中にある黒いものを知っていながら、「そんなの誰でも同じ」「自分が気にすることではない」と考えるときではないでしょうか。
 この私も完璧でないのは明らかです。
激しく怒るときはありますし、自分自身に山程の不満があることも確かです。
ただ私には、人が幸せなとき「それは本当に良かった」と思える心がありました。
病気で苦しんで夢が何度も敗れても、様々な不満を抱えたとしても、それでも子供の頃から人が幸せなとき「本当に良かったね」と心から思える自分がたった一つの誇りでした。
うまくいかない人生の中でも、なんの良い変化が起こらなくとも、その心だけは揺るぎませんでした。
それが、私がこの仕事を与えて頂いた理由だと思っています。
 お稲荷様は怖くありません。
本当に怖いのは、心の中に何か治すべきことがあるのを知っているのに、それに向き合おうとしない自分自身だと、私は思います。
 画像は青森県青森市みちのく有料道路の冬景色です。

今日のフィーリングは、*NSYUC イン・シンクの「This I Promise You ディス・アイ・プロミス・ユー」かな