小難の陰にある大難に思いを馳せて
昔「神社に参拝した帰りに、スビード違反で捕まった」と文句を言っている方が居ました。
その方は毎日良くないことが起こり、それで神様に会いに行ったらしいです。
文句を言う気持ちも解ります。
神様に対して、「少しは助けてくれても良いでしょう?」ということでしょう。
しかしその方の毎日に、何かしらのトラブルが生じていて、更に道路で検挙されたとなると、私は「もっと大きな危険の可能性」を感じます。
道路は「龍そのもの」であることを知る人は少ないと思います。
龍にも様々な色がありますが、龍が見える方で、もし真黒の龍や蛇を見たときは、特に気を付けて下さい。
それは命を取り上げようとするかも知れません。
なにかの理由で不満が集まり、狂気となった魂が「真黒」という色彩で現れています。
それが棲んでいる道路は、交通事故が多発したり、ドライバー同志のトラブルが生じたりします。
公道に出るときは特に、いつ黒いものが棲んでいる所を通るか解らないので、気を引き締めて頂きたいものです。
何故神社仏閣の帰りに、検挙される事が有るのでしょうか?
それは今その方の日常に、様々な理由による大きな黒い影が、差し始めている証拠かも知れません。
その日に検挙されなかったとすれば、それよりさらに手に負えないような、大きな不幸がやって来ていたかもしれません。
ある日突然大事故を起こしたり、貰ったりする様な目にあってしまい、大切な車や、自分自身や家族の安全も脅かされていたかもしれません。
「大難は小難、小難は無難」とは人々の切なる願いですが、その人を貶めようという「黒いもの」は、時に善神を凌駕する程の強い力を持つことがあります。
凌駕した一瞬に、その人の命を取り上げようとするかも知れません。
検挙されたことはもしかしたら、善神の精一杯の守護だったかしれません。
捕まって気分が下がりますが、それは「もっと大きな不幸が近づいているから、気を引き締めなさい」という警告かと思います。
もしかしたら「捕まえてくれて有難う」と言うべきかも知れません。
なかなか受け入れ難いですが、それは案外天の守護であったのかも知れません。
神仏と親しくさせて頂くことは、大難を除けたり歳破するためには大切なことであり、検挙されたからと言って、神仏に見捨てられた訳では無いと思います。
画像は、「猫暁を覚えず」の図デス
今日のフィ−リングは、手嶌葵さんの「テルーの唄(歌集バ−ジョン)」、
Leelandリー ランドさんの「Holy Spirit Have Your Wayホ−リー スピリット ハブ ユア ウェイ」、ロドリーゴ・イ・ガブリエ−ラさんの「セニョリータ」かな