旅立った方と残された方々の愛が繋がるなら その家門を守って行けるはずです
私達が生まれてからこの世での最後の日を迎えるまでに、その人の最後を看取る看取らないに関わらず、ほとんど全ての人々が「大切な人の死」を経験することでしょう。
どんなに手を尽くして自分の身を削って、「もうこれ以上無理だ」と思うほどその人を世話したとしても、亡くなられて何日もしないうちに、「後悔の念」が心に波のように押し寄せてくるのは、多くの方が経験していることだと思います。
「あのとき、あの様にしていれば良かったな」とか、「なんであんなことを言ってしまったのだろう」とか、その後悔の念から出た「言葉たち」は、限りなく吐露(とろ)されることもあるでしょう。
一番心を揺らすのは、旅立った大切な人が、今どんな想いをしているかであると思います。
自分の取った行動や相手にぶつけた言葉によって、寂しく疲れ切って、とぼとぼと黄泉の国へ向かっているのではないかと思うことは、耐え難い悲しみの中に、帳(とばり)が降りて行くような気持ちになってしまいます。
そのようなことで毎日が辛いと感じているのは、とてもよく理解できます。
「死ぬ」ということは、その人生においては誰にとっても未知の世界です。
たとえ輪廻転生というコンセプトが心にあったとしても、生まれたときに付けられた名前で、その人生を生きる日々にとっては、「死ぬ」ということが、未知の領域であることに変わりありません。
本当に酷い状況下、例えば犯罪によって惨殺されるようなことや、戦争などで突然亡くなったとか、酷い仕打ちをされ続けて亡くなったとかを除けば、親と子や兄弟姉妹どうしなど家族間での遺恨というものは、旅立った方にとって、多くの場合ほぼ忘れ去られているもののように感じます。
一般的な病死や、あるいはたとえ事故死であったとしても、家族による過去の一言や行動を恨んだり哀しんだりしている方は、あまり見たことがありませんでした。
それよりも死後の供養は大切だということです。
死後百箇日(ひゃっかにち)は、その人を忘れないようにお水やお茶をあげ、時にはお菓子や果物を供えてそのお下がりを頂きながら、その食べ物の味と共に、故人と「大切な何か」を分かち合います。
仕事など忙しい方にとって、百箇日は長いと感じるかもしれませんが、故人は亡くなってからすぐ黄泉(よみ)の国へ逝って、もうこちらにいない訳ではありません。
少なくとも「忌中」と呼ばれる49日は、その家にいらして、百箇日の間には「黄泉」と「現世」を行ったり来たりしているようです。
「ほとけ」といわれる存在になるまで、おおよそ三年位の月日が必要とされると言われています。
その三年を過ぎる頃は、私達にとってどんな「大切な人の旅立ち」も、受け入れられる様になってくる時期と重なるようで、それは納得できるような気がします。
一般的に49日の間に様々な仏様と出逢いながら、その弟子となって、だんだん心も仏様に近づいて行くための、修行をなさるといわれています。
つまり亡くなった方々も忙しいことと思います。
それ故、家族のほんの些細な一言や行動は、覚えていることは無いかも知れません。
それよりも亡くなった方々を苦しめるものは、残してきた愛する人々の悲しみでしょう。
現世にいる私達が、あまりに自分の精神を痛めつけるほど悲しんでしまうと、ほとけになるための修行もままならないほどの苦しみを、故人が味わってしまうかも知れません。
亡くなってもその人の「愛」は消えないからです。
慈しむ心、残された者の幸せを願う心は消えないからです。
だからあまりに悲しみ打ちひしがれるよりも、「自分の力」でこの世を渡って行くための精神力を身につけることが望まれます。
そして「ご供養も忘れずに」というのは、生きているものの「愛」と旅立った方の「愛」が溶け合う瞬間を、持つことの大切さを知るためです。
そんな時を何度でも繰り返してこそ、その一族は家門をしっかりと守っていけることでしょう。
そのように守られた家門の故に、旅立たれた方々は本当に心安らかに居られるはずです。
画像はうちの庭のもみじです。
庭にも晩秋が訪れています。
今日のフィーリングは、平井大氏の「もしも僕がいなくても」、One Republic ワン・リパブリックの「Nobody ノーバディー(怪獣8号EDテーマ」、ポール・マッカート二ー&ウイングスの「Listen To What The Man Said リッスン・トゥ・ファット・ザ・マン・セッド」かな