最高の幸せを得るには それなりの覚悟が必要です
人は恐らく誰でも、幸せでいたいと思う事でしょう。
多くの書物、多くのメッセンジャーがこの世に残してくれたことからも、不運や不幸は人々を鍛え、心の目を開くと分かっている筈ですが、それでも大切な人やものや場所を失いたくはないし、生活に困る事も経験したくはないし、悲しい涙や多大なストレスとも無縁でいたい、と思う気持ちもよく分かります。
しかしながらその様に、何の嵐も痛みも感じなくて済むような人生は、恐らくないと思います。
私はずっと若い頃から「石」に興味が有り、石には色々な「花言葉」の様な「石言葉」があることを、きっと多くの方々も知っていらっしゃることでしょう。
それは多くの方々の、心の支えになっているかも知れません。
この世は生きて行くにも大変な所だと、多くの方々は知っていても、大切な人には少しでも苦しみから逃れて欲しいと、人に石を贈るという心は「とても美しい事だな」と思っています。
ある時私の「師」とも言える方から、「ラピスラズリの数珠を持っていても良いかと思います」と言われ、信頼できる仏具店で仕立ててもらいました。
その時はラピスラズリの持つ石の意味も知りませんでした。
私の人生の道のりもまた、それなりに大変であったと記憶して居ります。
ひとつの修行を終えると、更にまた違う修行があり、この年代に至るまであらゆる宿題を与えられた様に感じて来ました。
ある時疲れ切って、何日も呆然としていた日々に、持っていたのにほとんど開いた事が無い「石の本」を開いてみると、ラピスラズリには「最高の幸福を与えるが、これを持つにはそれなりの覚悟が必要」と書いてありました。
まだ心が整っていない頃でしたので、「もしかするととんでもない石を使って数珠を作ってしまったのか」、と後悔しました。
何をやってもうまくいかず、いつ自分の希望する所へ至る事が出来るか、全く見えない長い道のりを歩かなくてはならず、打ちのめされる日々を多く味わったからです。
心もボロボロになってしまった様な日々を過ごして行くうちに、自分の心の変化に気づいて行きました。
若い頃は本当に生きて行く意欲も勇気も感じられない様な、暗いトンネルの中をとぼとぼ歩いている様な日々が有りましたが、打ちのめされる度、悲しむ度「このままでは済まないわよ」と怒りに満ちた反抗心が生まれて来ました。
「このまま静かに野垂れ死にしてたまるか」と、握りしめた拳を思い出します。
それでもその拳は、決して人に向けたものでなく、己の中から流れ出て行きそうな、生きる希望を繋ぎとめるためのものでした。
長い苦しみの中でも、自分の存在を消してしまう所に向かうのでなく、悲しみや苦しみや惨めさを背負ったまま強い背骨を育てる事が、嵐の吹き荒れるこの世で生きて行くためには、必要だと分かって来ました。
人生を諦めたくなる事の多くが、己の心がその問題に対処できる経験や覚悟を、見つけられない事ではないでしょうか。
目を閉じて息だけしてしている様な日々も、実は生きている、また生きてくための大切な時なのです。
その中で培った「心の変化」こそ、その人の最高の幸せを得るための大切な準備であります。
哀しい事を哀しむ覚悟を知る事、他人も皆幸せで在りたいと知る事、自分には見えなくても信じられないときでも、人間をはるかに凌駕する神仏の心が我々を見て居て下さること、それを心に留められたなら、その人の魂のステージは上がり、今までになかった幸福を感じ取ることが出来る、心の容量が増えてくるかもしれません。
その時に、あのラピスラズリの石言葉の本当の意味を、感慨深く理解することが出来るのでしょう。
そして本当の幸せを得ようとする覚悟は、いつかその人に、心の平安を得られる場所に至る道を与えてくれると信じましょう。
画像は、不思議なカタチをしたゴーヤの中にあった、赤い種の様子です。
今日のフィーリングは、Madonna マドンナさんの「Frozen フローズン(Live In 2020)」、東儀秀樹氏の「君をのせて」、米津玄師氏の「地球儀」かな