よく知らない世界の事を、全て断罪するのは残念なことです
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p> 時折ある種の人々は、自分でもよく分からないほど抑えきれない怒りや哀しみや焦りを感じ、ある時急き立てられたような衝動に駆り立てられることが有るかと思います。
その衝動が他の人の許容内であれば、法で裁かれるような突出したことにもならないのですが、心の規制線を破り、自分を破壊するような行動に移って行く時は、恐ろしいことが起こっているような気がします。
人はおそらく誰でも、「その人を助ける何か」と「その人を貶めようとする何か」の間で生きていると思います。
「その人を貶めようとする何か」が勝っているとき、人は大きな誤解からや、鬱積したフラストレーションの中に生じた怒りのために、自分の立ち位置自体を破壊してしまう可能性が在ります。
特に顕著にそれが現れるのは運転時です。
「ハンドルを握ると人が変わる」と言う事はよく聞く話ですが、それは自分自身の根底にある不満が、それを引き寄せている可能性が有ります。
霊的なことに敏感な人々は、特にそこを利用されることが有ります。
後で思い起こすと「何であんなに怒りを感じたのか」と理解に苦しむことも多いかと思います。
いつも付け狙っている、その人に対する呪いの因縁が、格好のチャンスを得る事にもなりかねません。
私は霊媒師としての修練をしている環境の故に、そのような理解を持つのですが、霊だの因縁だのを全て差し引いたとしても、感情をコントロールできない運転時の状態は、法律そのものに触れる可能性もありますので、それはその人の人生全体を傷つける事になるかも知れません。
ストレスを回復できるような事柄を見つけて、例えば祈るだのお経を唱えるだのが、万一馬鹿げたことと思うなら、それが唯一無二の正道であることを知るまで、一生懸命色々なことに挑戦すべきでしょう。
ヨガをする、歌を歌う、スポーツをする、登山をする等、楽しい事の中から何か「私にはこれが一番合うようだな」という事を見つけられたら良いと思います。
メリークリスマス
祈りの世界にいる方々は、心の中を純粋に保つ事が大切なのは一番解っているはずです。
何故なら、お金儲けや人気取りで自分を売り込んでも、それがどんな結果を招くのか、それがどういう事なのかを知ってるのが、霊や神仏を信じながら生きている人々です。
そういった人々の多くは、霊や人の心を導けることに対して「天の救い」を感じる人々なのです。
またそうでなくてはならないのです。
宗教に於けるかつての様々な不祥事も、人々の心を遠ざける事になっている原因の一つでしょう。
人は信じられないと断罪するのは簡単ですが、真摯に努力と研鑽を積んで
いる方々も十羽一絡げ(じゅっぱひとからげ)にされては、とても残念なことです。
画像は、庭の南天の木です。
今日のフィーリングは、Nickelback ニッケルバックの「SomeDay サムデイ]、Peter Gabriel ピーター・ガブリエル氏の「Red Rain レッド・レイン」、Al Di Meola アル・ディ・メオラ氏の「The Grande Passion ザ・グランド・パッション」かな