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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

いつか美しいこだまを受け取りたいですね


 その人が苦難の時に他人に対する態度は、苦しみをその人がどの様に消化して来たかを表しているようです。
以前「十界」の話をしたことが有りますが、人の心も一日の内で大きく変化し、その心が色々な世界に行ったり来たりすることも有ります。
楽しく幸せな日であるのなら、心は穏やかで「人間界」以上の境地に居られたとしても、ある時他人に酷い事をされたのが許せなくて、最終的に「修羅界」や「地獄界」にまで落ちていることも有るようです。
そこに落ちてしまう時、人の心はそのエネルギーの大半を、「呪ってやる」という一つの想いに込めてしまいます。
それは「自分の幸せに離反する存在を消してやりたい」と思う事です。
 人生の苦しみを味わう時、その魂がある事象に出会うのは必然だと聞いたことが有ります。
その人生を生きている今だけでなく、過去世と未来世をも巻き込んで、人生が流れて来て、そして流れて行くのです。
私の話の場合、人が生まれ変わり死に変る中で、何処か別の人生を生きる時には、かつて出会った人々と再びまた出会うものと信じて来ましたので、「因果応報」という言葉が有りますが、この世に自分が何かを解き放ったとしたら、その人の人生には再びそれと同じものが到着すると思うわけです。
すると人に対して呪いを掛けたり、その悪口を言って回ったりすることは恐ろしくて出来ませんし、人に接する時は、その人の心が傷ついたりすることにも、気を配るべきものなのかも知れないと思います。。
解き放った言葉の持つ、また想いの持つ力は意外に大きいと思います。
人は目で見て指先で感じ、耳で聞くだけでなく、魂で感じ取っているところが必ずあると思います。
しかもその魂は過去世、現世、未来世の流れの中にいるため、「旅の恥はかき捨て」という訳にはいかず、一つ一つが魂の中に「烙印」として残るのだと思います。
「自分が苦しんだ分を耐え忍び、自分の教師として学び、自分の養分とすること」、そして「自分の受けた苦しみや哀しみは、決して人には与えようとしない事」の二つの事は、容易には受け入れられるものではないかも知れません。
冷静に心の中で苦しみの理由を解かして行く努力をするとき、少しくらいの衝撃で、その心持が「十界」を跳ね上がったり墜落したりしない様に、必ずいつの日か安定してきます。
未来の自分が受ける、過去からの「こだま」は美しいものでありたいし、未来の人生に於いて、自分が人に対して心砕いたように、同じような優しさを持つ方々にも、たくさん出会いたいと思いませんか。
 画像は岩手県九戸郡軽米町のフォリストパークです。
チューリップが綺麗でしたし、風景が、美しく描かれた物語の様に感じられました。
今日のフィーリングは、久保田早紀さんの「異邦人」、エドウイン・マートン(又はマルトン)氏の「Panis・ Angelicus パニス・アンジェリカス 天使の糧」、堤 智恵子さんの「TAKE FIVE テイク・ファイブ」かな