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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

いつか自分のカルマと 向き合う日があるべきでしょう

私達が生きるこの世では、信じられない様な風習が、長い間当たり前のように行われてきたということがあります。

生贄(いけにえ)のようなものもその一つでしょう。

 古い時代のように、神が「生贄」をとっていた時代のままであったら、安心してこの世を生きられないような気持ちになります。

古代の「神」と呼ばれるものには、現代の神様とは違っていた、何かがあると思います。

それは神と呼ばれるものが、「赦し」を持っていなかったことです。

 私達の住む世界では「正負の法則」のように、良いことも悪いことも同じ分だけ起こるようなことも含めて、「明日は、どうなるか全く分からない」という不安の中で生きるしかありません。

例えば「法華経」という経典があります。

諸教の王と呼ばれているほどの大切なものですが、この経典を信じてそれを行ずる人々は、「法華経の行者」と呼ばれますが、昔から「法華経の行者」には様々な苦難が付きまとうということがありました。

長い間何故なのだろうと思っていましたが、よく考えてみると、法華経を行ずる人はそれを学び通読します。

経を理解しそれに従って行ずることは、生贄を取るような、得度していない「神」と呼ばれる存在を、得度させて行くことになります。

得度させられる「神」と呼ばれる者は、初めは心地よいはずがありませんので、暴れ怒り狂うはずです。

その「神力」で行者を殺そうとするかも知れません。

しかしその行者を守る神々も大勢出現してくるため、結果的にその行者の命は守られるということです。

 それでは何故そんなに大変で、恐ろしいことをするのかといえば、法華経を行ずることは己のカルマを粉砕する行為だからであり、カルマを尽くしてしまうことは、その人の人生での最も大きな障壁を崩し、その人を本当の幸せへと導いていくことになるからでしょう。

それ故その様な大変な行を受け入れることは、その事実を理解する知性と覚悟を、持たなくてはならないということでもあります。

この世はどのように生きたとしても、何らかの不安と苦しみが付きまとい、例え幸せを手に入れたとしても、それは「完全な幸福」とは言い難い日々を得ることになります。

それは日々の暮らしを立て直す心労や肉体的疲労、老いの無力感と絶望感、病の苦しみと不安、そしてどんなに幸せであっても、それをいつか手放さなければならない未来の故です。

この世を「仮の宿り」と言いたくなる気持ちも、分かるような気がします。

 現代でも産まれて来る人々によって、何かの犠牲となっているのではないかと感じることは、あるのかも知れません。

「霊媒体質」と呼ばれるものを持って産まれた人々には、他人に理解されず変人扱いを受けたり、人と同じことをしても、人よりいつも遅くなったり後回しにされたり、それによって沢山の精神的苦痛を味わったり、その結果自分自身をも信じられなくなるという事柄が生じて来ます。

それはその場面においての邪気や悪鬼の防波堤となるような、一種の「生贄」ということかも知れません。

その様な体質を持って産まれて来ることは、カルマの問題もあるのでしょうが、それは決して一生続くものと決まったものでないことを、お伝えしておきます。

何故ならばこの世にはあらゆる「書物」、「教え」、「神社仏閣」が存在し、私達の休憩にはチョコレートやコーヒーがあり、少しの勇気を出して心を開けば、いつかきっと良き友が必ず見つかり、あらゆる音楽があり、映画があり、絵画があって私達を癒やし、人と人との間にある、時には相入れない考え方の間にさえも「学び」があり、そんな光りのような大切な「人生の流れ」を手に入れる、たった一つの行為が「心を開く」ことであるからです。

例えば何らかの苦しみの中をさまよい歩いて、青空さえ白々しく感じるような日でも、その日に自分に起こったことの中には、必ず何処かに「出会うべきこと」があったはずです。

「私もあの様になりたい」とか「なにか始めてみたい」などの気持ちが生まれるような、一種の「渇望 かつぼう」が生じたら、それは一つの段階を飛び越えて、幸せになれる自分への意欲が産まれた証であります。

その一つ一つの経験を財産として、やがていつか「本当の幸せとは何であるかを見つめる日」を、得て頂きたいと思います。

そのことが、「その人にとっての本当の幸せ」への道を示してくれるはずだからです。

 画像は目覚めたばかりの「福寿草」です。 

あけびつる教室の先生のお庭で見つけました。

 今日のフィーリングは、佐藤隆氏の「希望商人」、姫神の「大地の祈り」、Aimer エメさんの「季賂」、セリ−ヌ・ディオンさんの「I Love You アイ・ラヴ・ユ−」かな