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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

真の供養は心の欠けと喉の渇きを満たす

 
 此岸の私達の世界では、色々な場面で毎日何処かで誰かが、供養しているのかも知れません。
 日常生活で悪い事が次々起こるなら、霊能者のアドバイスで、何処に焦点を絞って供養すべきかを、指摘されることもあります。
何も上手く行かない毎日や不運が次々起こるとき、その陰に心満たされない、霊の障りも有るかということです。
そのアドバイスによって、多くの人が救われていることも沢山あることでしょう。
そんなときの供養は、社会に生きる人々を救っていると思えますし、それは必要なことです。
 供養によって運が上向くことも確かにあるはずですが、差し迫った危機感が薄れてくる頃、変わり映えのしない日々のために、供養はもう必要ないとして、止めてしまうこともあるでしょう。
時折そんな心の中に、「供養すれば良いことがある」とか「何かの罪を免ぜられる」などと考えてしまっていた事が、有るかもしれません。
 それは「利供養」と呼ばれてしまい、時間やお金を掛けても「下心」に拠るものと判断される事になります。
 例えば大切な人が亡くなったとき、悲しくて辛くて、その魂の安らぎを祈りながら、故人の好きだったものを供えずには居られないような、思い浮かぶ全ての事をしてあげたいと思って行うのが、真の「菩提心」から生じた供養だと思います。
その時は良いことや得なことなど無くとも、満足できるはずです。
 神様に対しても、ひと度信じると決めたら、願いが叶わなくとも特に良い事が無くても、静かにお仕えすることです。
お願いが敵わないときは、まだその人には、しなくてはならない修行が在るのかも知れません。
その後いつか必ず扉が開きます。
その時を願って、毎日お水を上げたり供物を用意したりします。
これも神様に心を開いて頂けるような供養です。
お菓子が食べたくて泣いている子にアイスクリームをあげる、一人ぼっちで愁いている人に優しい言葉をかける、これも供養です。
私達の日常の幸福は、小さな供養たちの上に成り立っているのです。
 例えば敵同士の間柄でも喉が渇いて倒れそうな人に、一杯の水を差し上げるなら、その背景にある「反発し合う思想」
も、柔らかく解け合う日が必ず訪れるはずです。

画像は、「私がソフトクリームを食べたお店にあった、人形たち」です。
今日のフィ−リングは、
Aimerエメさんの「命にふさわしい」、きゃりーぱみゅぱみゅさんの「スローモ」、AL DI MEOLAアル・ディ・メオラ氏の「地中海の舞踏」かな