続 本当の幸せとは何でしょうか
歌族の中でも親と子や兄弟どうしの間で、心が通じない様に感じてしまう事があります。
ある時から何か違和感が心の中に広がり、優しい言葉さえかけられないように、心が落ち着かない日々があります。
過去世、現世。来世という三世にわたる人の魂の流れを、ずっと昔から聞くことがあった人々には、そこに生じる「カルマ」の問題も自然に受け取れるのではないかと思います。
稀にこの世に敵同士で産まれてくる方々のこともあるでしょうが、かみ合わない関係のように感じて、いつも心が落ち着かない、居心地の悪さを味わうような、「けしてこの人とは心が交わることはないだろう」と思ってしまうようなことばかりであれば、「過去世では敵であったのではないか」と感じても無理はないと思います。
しかし敵同士と言うより、住んでいる土地との悪縁や家系のカルマによって、家族の関係が捻じ曲げられて行くことは、かなりあるような気がします。
万一敵同士の過去世であったとしても、現世において出会ったとしたら、それは過去の悪縁を、修復すべく修行をするべきだということと思います。
はじめは心地良くはないけれど、その様な人々と努力を続けて、やがて心の交流ができるようになった日、相手との悪縁を消滅させる力を持ち始めたということなのですが、普通に生活している日々では、そこまで互いに修復できることはなかなか難しいものです。
それでこの世の神社仏閣などに通って、心を治して行くこともできますし、自ら先哲の書物を求めて、心を治していく努力も効果があるでしょう。
この世は「カルマを解消し、人同士の関係を修復するための場」、と言っても過言ではないように思えます。
「敵」と思っている相手に「心を贈る日」は、互いの悪縁のカルマを解消しつつあり、素晴らしい修行の結果とも言えるのでしょうが、多くの場合現実の生活が忙しかったりで、「そんなことに関わっている暇などない」ということで、敵は敵のままでいる事が多く、非常に残念です。
今の自分の家系に何故生まれたのかということは、「こ゚縁」と言うしかありませんが、何故「そのこ゚縁なのか」ということは、過去世に、また遭いたい人同士であったことや、さんざんお世話になっていた人同士であったことや、また同じ様な魂のレベルであったことや、あるいは敵同士であった等様々ありますが、この最後の「敵同士であった」ということは、知るべきではないと思います。
何故なら家族になったり友になったり、身近にいる関係である場合、それはその人々が現世で何とかその悪縁や憎しみを解消し、平坦でわだかまりのない関係を築くべきであることが、「天意」ではないかと思うからです。
もし敵であったことを知ったなら、そのカルマの修復のゴールは遥か遠くなってしまうように思えます。
人々もまた、気に入らない他の人を「不倶戴天の敵」などと思わず生きる努力が、カルマを解消するための修行であり、つまりそれは、人が本当の幸福を得るための最短の道であることを、知るべきであると思うからです。
画像は、青森県八戸市の鮫町付近です。
うみねこがたくさん並んでいますね、何を想っているのでしょうか。
今日のフィーリングは、サザンオールスターズの「桜、ひらり」、三浦大知氏の「燦燦 さんさん」かな