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瑞光天とは- about -
瑞光天とは

蓮の花は人の一生に光を与えてくれます


 武術の世界を垣間見る機会があり、自分もその世界の扉を開こうとしたことがあります。
身体がけして健康とは言えない時代ばかりで、その通り過ぎてきた時間と長い道のりを、忘れたい気もしていました。
私は生まれたときから、神仏の世界が日常生活に入り込んでいる家系の中で育ちましたので、子供の頃から家と自分の友だちの間の文化的背景に、変な段差が生じないように気を使って来たように思います。
人と話しているとき、心の中で自分なりの判断があったとしても、それが神仏の故の意見であったとき、それを封じた会話をしてきた、私なりの努力もあったと思います。
今思えば、わたしの「努力」はそれほど重要な事ではなかったようにも思えます。
それでも自分の意見は、「それはそれで良いのだ」と思えるようになって来たのは、かなり年を取ってからでした。
 武道も武術もその柱に位置するものは、「儒教」の思想でしょう。
この世を正しく美しく生き抜こうとする方々にとって、それは是非学ぶべきことだと思います。
現世において真人間(まにんげん)として生きようとするなら、その思想には共感を得るはずでしょう。
 それでも自分や家族のことについて、生きている間は良いですが、亡くなった後のことはどのように考えることになるでしょうか。
仏教にも儒教の考え方が入り、様々な文化や亡くなった人の弔い方にもその作法があるようです。
例えば「墓」についてなどの作法は、儒教が入って来なければ「無かったこと」であったのかも知れません。
儒教は日本を支えてきた武士道の精神を育て、心を清めるような美しい文化と思想を保つことが出来たのは、事実でしょう。
 儒教の国の「あるドラマ」を観ていたとき、主人公に愛する人がいたのに、その人と添いとげることが出来ず、最後に友に「来世でまたあの人に逢えることを夢見て生きていこうと思う」と言ったとき、その友は「儒教を守ってきたお前の言葉としては、今まででは考えられなかったな」と答えるシーンがありました。
そのドラマのセリフの心情は、とてもよく解る気がします、
人は長い人生の中で、幾重にも張り巡らされた「無常の哀しみ」に捉えられ、心弱くなる日があるものです。
正しく美しく生きることは、とても清潔で無菌的な素晴らしい水墨画をみるような、清々しさを覚えます。
 それでも人はやはり、泥の中で格闘しながら進むような日々もあることでしょう。
美しく正しく生きていたいのに、自分を取り巻く何かがもたらす現実(人間関係や生活の質など)の中で、泥に埋まって苦しみを感じる日もあるでしょう。
昔からよく言われて来たことに「蓮は泥に身を置いても、清らかな花を咲かせる」ということがあります。
これは人の辛い日々を生きるときを、勇気づけてくれる大切な想いであるように、ずっとその光のような言葉を反芻してきました。
心穏やかで幸せな気持ちになりたいのに、自分自身にある程度の尊厳を持ちたいのに、それすら叶わないような日々があるとすれば、人はその苦しみの中で生きることもやがて飽きてくると思います。
そしてやがて美しく生きようとする心さえ、折れていくかも知れません。
そんなとき仏の世界の優しさが有り難いと思えて来ます。
仏や神はその人が振り返らなくとも、そこにいらっしゃるのです。
過去世からのカルマに苦しむ私達の現世を見つめ続け、輪廻転生の考えも相まって、心安らぐ来世へ導き、生きているうちから自分の愛する人々の死後の安らぎを祈ることも、その人に許して下さいます。
心に静かな春の様な景色を見ることが、できると思います。
人は皆いつも張り詰めて修行し続けられる、強い意志を持てるとは限らないでしょう。
そんなときは観音様の持っていらっしゃる蓮の花を、心に描いてみては如何でしょうか。
 画像は青森県八戸市鮫町付近の海岸です。
今日のフィーリングは、alan アランさん☓福井敬氏「愛の力」、Chris De Burgh クリス・デ・バ−氏の 「When Winter Comes ホエン・ウインター・カムズ」、同じく「Snow Is Falling スノ-・イズ・フォーリング」かな