人には誰と共感するかが大切です
人は誰かと話をするとき、対面する相手の肩越しにいる2種の者と、対面する人自身を含めて、3人の者と話をしているのだと言われています。
1人目は対面する人です。
この人は以下の2,3の人に時折翻弄されることがあります。
2人目はその人の魂を助け引き上げようとする者たちです。
先祖や守護霊守護神等の方々でしょう。
3人目はその人の人生を貶めようとする何か、その人が生まれてきた時から付きまとっている、先祖代々からの宿敵やその人を羨む存在、その中には生きてきた途上での、他人からの嫌悪や誤解による憎しみの想いも含まれます。
話をする人が、相手を理解し、慈しみの心を持つなら、2人目の者たちと共感しています。
又、その人を嫌っていじめようとする感情を抱くなら、3人目の者たちと共感しています。
人に対して「悪い感情を抱いてはいけない」とは誰にも制限する権利はありませんが、相手に対して、よく考えることもなく皆がいじめているから、自分もいじめていいのだという感情を抱き続けるならば、それは今自分自身が、魂のステージを左右している局面にあるのだと、理解すべきではないでしょうか。
ただ恐ろしいことは、「類は友を呼ぶ」と言われるように、自分の放つエネルギーと同類のものがその周りに集まってくることです。
人を理解しようとして、慈しみを持って行動するならば、同じような優しさを持っている者たちが自然に集まり、心穏やかで不安なく生きる場所へ、人生のベクトルが動き出します。
人を陥れていじめてやろうとする心を育てるなら、それと同じ感性の人々が集まってきて、いつも不安で心の豊かさのない人生が、待っているように思えます。
そして、人として本当に幸せになりたいなら、大切なこととしては、自分を貶めようとしたり憎んだりしてくる相手を憎まず、ひたすら自分に問いかけ、時に自分自身と闘おうとする姿勢に目覚めることです。
何故なら、人が皆で手をつないで簡単に人を貶めようとする心は魂の昇格を妨げ、その品格を著しく貶めることだからです。
それを理解し自分の正しく生きる道を願うなら、そこにいつの日か神仏が降りてきます。
それはとても難しいことですが、どんな聖なる修行をも凌駕するような、美しさがそこにあるからです。
画像は比叡山から見た琵琶湖です。
今日のフィーリングは、中島みゆきさんの「銀の龍の背に乗って」かな