ある日の臨死体験
ある秋の日、彼岸が近いころでした。
本を取りに二階に駆け上がると急に胸が苦しくなり、私の視界がどんどん下の方に降りて行き、床のあたりまで来て上を見上げると、佇んでいる自分の姿を見ました。
つまり私が寝ころんだ状態で、その上に自分が立っているような姿があったということです。
それを見た瞬間、足の方から暗いトンネルへ滑り込んで行きました。
物凄いスピードでしたが、暗いトンネルの先に光が見えて、そこまで来ると急に広い花畑に出たのでした。
その場所は五月ごろの気候だったと思います。
大勢の人が花を刈っていました。
アマリリスのような茎がしっかりした花が沢山咲いていて、人々はそれぞれ同じ長さになるように刈っていました。
その人々の中から一人の少年が走ってきて私の前に来た時、その子は何年も前に事故で亡くなった弟の友人だと気づきました。
私は驚いて「あなたはここに居たのね!」と言った瞬間全ての景色が無くなり、またトンネルの中を滑っていました。
そして光のある出口に着くと、私の視界が揺れていました。
聴覚、体の感覚は無く、ただ私の体を揺らしている伯母の姿がありました。
私の視界が揺れていたのはその為でした。
それから聴覚が戻ってきて、遠くから私の名前を呼びながら、体を揺らしている伯母の声が聞こえました。
「伯母さん・・・」と声を出した瞬間すべての感覚が戻ってきて、呼吸が苦しくて苦しくて、声を出したことを後悔しました。
救急の人々がやって来て、タンカに乗る時「このまま死ぬんだな」と思いながら、気が遠くなって行きました。
病院のベットで目覚めると点滴をして酸素マスクをして、まだ生きていると分かりました。
二十二歳のころでした。
退院してから私の感覚が鋭くなり、この世のものではない者が見えてしまう事に、自分でも理解するのに時間がかかりました。
これは恐らく「臨死体験」というものだと思います。
あの時から、自分の生活も考え方も変わっていったと思います。
臨死体験をしている方々は、大勢いるようですが、一様に「トンネル」の話が出て来るようです。
母親の産道を通って生まれて来るときに似ているかもしれません。
臨死体験でトンネルを通ってからも、生き続けているということは、それは「生き直しをしている」という事かもしれません。
今日は「臨死体験」の話でした。
画像は、下田公園です。白鳥を見学しました。
今日のフィーリングは、荒井由美さんの「朝陽の中で微笑んで」かな