五寸釘の物語3
どんな人にも超えるべき因縁としての、人生の障害があります。
病気や怪我、人間関係の問題、金銭や財産の問題などの様々がこの世にはあり、そのどれもが精神的や肉体的に人々を苦しめます。
人は多く「形」を求めるものの様に思われます。
自分の心を満たすことのできる証拠としての、何かの「形」を求めるのでしょう。
「五寸釘」もまた同じでしょう。
元来「釘」は木と木を合わせて何かを作り出すとか、どこかを修理するとかクリエイティブでハッピーな、人々の創造意欲をを扇動するはずです。
しかし「釘」を呪いに使うとき、対象者をひどい目に合わせてやるくらいの程度では、五寸釘を打とうとは思わないでしょう。
そこには相手への明確な「殺意」があります。
どんなことがあったにせよ、生きるためにそれなりの努力をしているはずの、その人生を粉々にしようとして「釘」を打つのは、非常に陰湿な悪魔の技と呼ばれてしまいます。
クリエイティブに在りたかった「釘」も草葉の陰で泣いていることでしょう。
「釘」を打たれる人にも、「そこまで他人を追い詰めて、般若面にしてしまった」という、「かど」があるという事なのでしょう。
ずっと昔、ある雑貨店の片隅に「呪いの藁人形セット、五寸釘入り」と言うものが売っているのを見て、「これを自分の財布からお金を取り出して買う人は、どのような人か」と驚愕したことがあります。
呪いの手法は世界中に様々に存在しますが、「人を呪う」という意思体現したとき、己の人生の全ての幸福も賭けていることを知らなくてはなりません。
それどころか、来世、さ来世、その後までも許されるまで理不尽な不運を味わうのです。
それは他人の生きようとする、心の根幹に釘を打ったからです。
しばしばその贖罪として、自分ではなく自分の一番愛するもので支払わなくてはならないことがあります。
釘を打たれた家系も、大変な「業」を尽くすための修行を強いられますが、釘を打った家系は更にそのような人を輩出したことで、その子孫は大きな苦難を受ける可能性があります。
それ故、人は出来るだけ人生の流れの中で、注意深くあるべきでしょう。
人の心を踏みにじっていないかどうかを考えてみることも、大切ではないかと思います。
確固たる意志や夢、鋼鉄のように強い未来への希望はあって良いと思いますが、他人の人生を砕いたり蹴散らして、やって来るその家系の平安はないと言ってよいでしょう。
神仏に頭を垂れる日々、そこに思いを馳せる時、一筋のまばゆい光がその人の人生に差し込むはずです。
その様な人々を多く輩出した家系は本当の「名家」と呼ばれ、その子孫の危機脱出を、強力にバックアップして下さる守護仏、守護神を頂くことが出来るのです。
神仏にお仕えする僧を一人輩出すると、その家系の三代の罪が消えると言われる所以でしょう。
孫子の代に咲く花を夢見て、辛くとも生き続けて行くと、いつの日かその家系に、形よく美味しい実がなることでしょう。
画像は、三年前に買ったアジサイが色々な色彩で咲いている様子です。
今日のフィーリングは、Anittaアニッタさんの「Versions of Me ヴァージョンズ オブ ミー」、AKB48さんの[365日の紙飛行機」、Grover Washington Jr.グローバー ワシントン ジュニア氏の「Just the Two of Us ジャスト ザ トゥ オブ アス」かな