人生の最後に持って行けるもの
人と人が家庭を持ってその絆を持つことができたなら、その人々は互いに側にいることを許されたという事でしょう。
その為、繋がりを大切に思い注意深く進んでいくことをお勧めいたします。
いつ愛する者が天に帰ってしまうか分からないからです。
人は天のものであり、自分が所有しているものではないからです。
この世で自分が所有しているものは実は何もなく、ただ縁あって側にあるものだと知っておくべきなのかもしれません。
死んで行く時持って行けるものは、ただ心の中に焼き付けられた「愛」の記憶だけです。
「愛」とは何でしょうか?
それは自分がどれだけ人を慈しんだかという事です。
人は身近にいる人と「ご縁」で結ばれています。
例えば家族などは特にそうでしょうが、その人々の側にいることを許されたという事なのです。
よく仲の悪い家族は、「仇同志」で生まれて来たのだと言われることも有りますが、実はそういうことはあるのかも知れません。
もしそうであっても、そのまま離反してしまうのであれば、何にもならない様に思います。
何故「仇」ということが起こるのかを考えてみれば、「かつてどこかの人生でその人に酷い仕打ちをした」という事かも知れません。
その為今の人生では、「修復」というチャンスを与えられているのかも知れません。
どんな人でも、心の中に痛みを残されたら怒りや悲しみを生じるでしょう。
そのまま何の修復の努力もせず、何度顔を合わせても水と油の如く共感できないとすれば、大きなチャンスを逃すことになるのかも知れません。
その修行の機会を与えられる時、その人の魂がステージを上げ、生きる苦しみの「かせ」も和らいで来るはずです。
そのチャンスを逃すことは残念な事かも知れません。
「あの人は何故か感じが悪いな」と感じたら、ある意味チャンスかもしれません。
嫌だと思う相手は、おおよそ同じことを感じている可能性が在ると言われていますが、それでもその硬い扉を開くと、思ってもみなかった良い景色を見ることが有ります。
以外に長く続く、良い友人になれることも多いと思います。
もし仲良くなれたら、その方に「初めて会った時自分がどう見えたか」を、指摘してもらうのも有意義でしょう。
もちろん感じたとおりの人だった場合は、「こうなってはいけない」確かな見本として、人生の「肥し」になってもらうという手もあります。
多くの方々のイライラや小さな不安の原因の大部分が、「愛」に関する事かも知れません。
家庭内の愛が足りないと社会に与える愛も足りず、延いては国家全体の平和を守る心の損失を、招く事にもなりかねません。
「千里の道も一歩から」と言いますが、まず自分を見直すことが大切です。
「こんなに真心で接しているのに、どうして理解してくれないの?」と思うとき、多くの場合は自分のしてきたことを忘れてしまっていることが有ります。
自分が人に対して与えた影響の中に、もしかすると解決の「鍵」が隠れているのかも知れません。
幸せな夫婦は自分達の幸せは、家族全体の幸せだと考えます。
それはその通りですが、例えば長く結婚しないでいる子供がいる場合、その子は親達と自分の現状が全然違う事に苛立つことが有ります。
「自分だけが家族の落とした不徳を背負ってしまったのではないか」という、錯覚に陥ることも有ります。
そして家族からの疎外感を抱いてしまうのです。
そんな時家庭内の不和が起こって来ます。
そしてその子が、心の中に大きなコンプレックスを抱いているとしたら、幸せになれない理由が自分のコンプレックスの理由としての「美」であり「知性」であるような、自分に欠けていると思い込んでいるものに、押し潰されそうになってしまう事はあるかも知れません。
それを理解することが出来ず、何気なく話したり表現したりしている親たち夫婦の「心の絆」に、憧れと絶望を感じながら自分の置かれた立場を考える時、「一般社会に於ける幸せ」からの疎外感をも感じて、両親に反発してしまう事もあります。
人は人でしかありません。
家庭の中に多くの覆したい問題が生じている場合、そこから先は天の采配を仰ぐことより他にないことは意外に多いです。
祈りが大切というものの、その祈りの意味と方法を探し出そうとする時、正しい教えに導かれたいです。
間違いないと言えるのは古くからの書物、経典や聖書、コーランなどの中にその解決方法を見出す事が出来ると思います。
その書物を手に取る時、心の中に本当の哀しみがあるかどうかが大切です。
その哀しみは何であるかというと、取り戻したい家族の心に対する「無償の愛」です。
無償の愛を心に持つことは、「我」を捨て去ることであり、それは時に痛烈な苦しみも伴います。
それには自分の抱えてきた寂しさや不満も、ないがしろにできるかどうかを問われていることになります。
それを超えても大切な人の心を取り戻したいと願うなら、無償の愛はきっとその心にある事でしょう。
それがあれば、幸せの扉はきっと開くはずです。
画像は八甲田山の睡蓮沼です。今年も行って来ました。
今日のフィーリングは、Eric Clapton エリック クラプトン氏の「Tears in Heaven ティアーズ イン ヘヴン」、Utopia ユートピアさんの「Hiroshima ヒロシマ」、山下達郎氏の「僕らの夏の夢」かな