春彼岸が来ます
私は岩手県の海沿いの街の、(色々なご縁で)ある寺で生まれました。生まれて約一ヶ月後に大津波が襲ってきて、家族の勤務先も買い物に行く街も全滅したと、大人になってから聞きました。家族は全員無事でしたが、災害の話を聞く度、お世話になった人々はどうなったのかと、心砕かれるような想いを馳せる事が有ります。
この世に生まれ、前代未聞の災害を経験した人々の悲しみが、ろうそくの光に映し出される季節が近づいて来ました。
春彼岸は芽吹きの季節で、生まれ変わるような感じがして好きでした。
しかしあの災害からずっとそれは、異次元の悲しみのように思えてきます。
あれ以来、当たり前の日々が一番幸せなのだと思うようになりました。
生涯悲しみを知らない人はいないでしょう。
大切な人を亡くしたり、仕事で大きなダメージを受けたり、愛する人の心を失ったり、一日生きるだけでも本当に大変な心の変化を味わいます。
人は誰でもいつかこの世を去るのですが、それまでの間、酷い哀しみに「時という薬」が効いてくるまで、淡々と生きるしかありません。
「哀しみと共に生きて行く」ことにおいて、人々はこの世の苦を修行する「同志」なのかもしれません。
ご縁によって出会い、いつかこの世に次の世代を産み出して、この世を存続して行きます。
親とは、とても大切な存在です。
私はこの世で最も美しい親の姿は、聖母マリアの像に顕れていると思います。
慈愛に満ちた目を子に向ける姿は、仏そのものに感じられます。
それでは子のいない人はどうなのかと問われるかもしれません。
子のいない人は「優しさと強さ」という赤子を抱くべきかと思います。
その赤子は心の修行によって、いつか成長します。
そしてその人の心から溢れ出る光が、その人自身の輝く魂を育んで行くはずです。
そうして生きる人は、「徳」という「自分自身や他人に対して与える幸せの源」を産んでいるからです。
画像は「時々来てくれる猫さんたち」です。
今日のフィーリングは、朝崎郁恵さんの「あはがり」、松任谷由実さんの「散りてなお」、
元ちとせさんの「春のかたみ」かな