美しい人の心が世界を救うかも知れない
科学が進歩するのは宿命です。
科学が進歩するたび人の生活は便利になり、多くの困難から解放される可能性があります。
人は科学の発展から、多くを享受していることになります。
また多くの科学者や研究者の方々は、志を持って学問を修め、それは人の幸せのためにも努力なさっているという事でしょう。
しかし歴史の中から、時折恐るべき史実が現れることも有ります。
科学の発展により、膨大な力を持った武器が発明されることが有ります。
そんな武器が必要になる時勢の殆どが、戦争が起こる時でしょう。
戦時下では国が勝利を治める事に主眼が置かれ、戦う相手のことを考える事はほぼないでしょう。
それはいかに効果的に、相手国にダメージを与えるかが大切だということで、そのことに人の人らしくあるべき姿は消されて行きます。
心は鋼鉄の鎧で覆われ、相手が同じ人間である事を忘れます。
忘れなければ戦えないからです。
相手の国がいかに悪辣かを唱え、自国民の心に憎しみの黒い種を植えるのです。
その種は人の「心の魔」の部分で育ち、相手国に痛烈な一撃を与える事に、歓びを感じる「黒い心」を創り上げます。
戦時下で人が、人とは別の生き物に育って行くことは、今までの歴史が雄弁に語っています。
その「黒い心」を増長させる時勢に、時折科学の発展が利用されて来ました。
人を殺傷するのに効率の良い爆弾や化学兵器、生物兵器などは、それを研究する人々の手によって、戦場に運ばれて行きます。
「そんなつもりで研究したはずではない」志が、暗い時勢の中で利用されて来ました。
科学者の志を、このように使う時代の流れの中では、悪魔が勝ち上がって来た証拠であると思わざるを得ません。
悪魔というと何となく陳腐な響きのようで、現実味が少し遠のいてくるのかも知れません。
しかし何も特別な事でないように思います。
人の心の中に、それはもう棲んでいると言えます。
自分が追い詰められる時、他を憎み必要以上に攻撃しようとしたり、誰かが弱い立場だと知ると、自分のストレス解消のために、ひどい仕打ちをしようとしたりする人もいます。
そんなことをするときの心は、十界の中でも地獄界の産物のようです。
学問や研究を為さる方々にも、是非自分の心の中を見渡して頂きたいです。
その志が「人を慈しむ心によって、打ち立てられたものかどうか」を考える事は、大切であると思います。
それは、その学問や研究の結果が、人類の命運を左右する、大きな武器となる可能性があるからです。
それ故、人は自分の中に「揺るがない善」を、打ち立てるべきではないでしょうか。
人や社会の扇動に雷同することのない心は、自分自身の中に確固たる「信じるべき美しいもの」を持っていることになります。
お線香をあげたりお祈りをしたりする方々は、その時感じて頂きたいと思います。
「自分の心が今どこにあるのか、どこにあるべきなのか」を、静かな時間の中で見つけ出して頂きたいです。
そういった努力は「心の魔」を締め出し、天に慈しまれるような光輝く心を保ち続けます。
そんな人を「本当に美しい人」と呼ぶのではないかと、私は思います。
画像は八戸市庁の中に展示されていた、「西遊記」の山車です。
許可を得て撮影させて頂きました。
とても綺麗で、四年ぶりの八戸三社大祭開催の幸せが感じられました。
今日のフィーリングは、新日本フィルハーモニー交響楽団小澤征爾指揮「ウクライナ国歌」、さだまさし氏の「防人の歌」、Al Di Meola アル ディ メオラ氏の「Doble Concerto ダブル コンチェルト」かな